東京の郊外で猫と暮らしてゐる。

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり。如何やうな日々にて盛者必衰。

はてなブログは恐ろしい場所とばかり思っている。

 

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 以前からスマホに「はてなブックマーク」のアプリをいれて、通勤の電車の中などで読めるようにはしていた。私はこれまでにしがない日記をつらつらと書いていたが、アフィリエイトやらランキングとは全く無縁の世界で、1記事を10人が見れば大盛況という具合だった。

 自分が感じる「はてなブログは恐ろしい場所」という感覚がどういった類なのか、そしてその「恐ろしい場所」に自ら足を踏み入れてみた理由についてつらつらと語ろうと思う。ちなみに猫は今、私の隣でぐーすか寝ている。相変わらず寝相が悪い猫だ。
 なお、以下の日記というか考察というか内省については飽くまで私個人の問題として読んで戴けたら幸いである。

 

 

 

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 「恐ろしさ」の本質 

 何故はてなブログが恐ろしいものだと感じるようになったのだろうか。自分の過去を振り返ってその理由を探ってみると、まず思い当たったものがある。

 はてなブログないしはてなダイアリーの「自動リンク機能」だ。

 私は10代の頃は完全な腐女子で同人サイトを運営していた。当時は毒舌ネットマナーや魔法のiランド、夢小説、なりきりチャットなどが大層盛り上がっていた頃である。
 現在もしばしば問題として挙げられることは多いが、当時はまだ大なり小なりの自治クラスタ同人活動に関するマナーが広く叫ばれていたこともあり
「自分の身は自分で守る。腐女子とは一般的に受け入れがたい人種。限りなく黒に近いグレーの中で原作者の寛容さを以て活動ができることに感謝すべし。特にナマモノ同人を扱う者は決して『純粋なファン』や『本人』の目に触れぬよう何かと予防対策を行うこと」
といった雰囲気があった。Twitterなどない。精々初期のmixiSNSとして普及してきていたあたりだったかと思う。
 そしてその頃に同人活動をしていた私にとって「はてなブログまたははてなダイアリーは非常に危険なもの」であった。SEO的な目で見れば「自動リンク」は良いものかもしれない。(はてなブログを始めたのが今日だからわからないし、現在主流なものかもわからないが)
 単語と単語で繋がっていくことで知らないブログに通じるなんてこともあるのかもしれない。コミュニケーションが広がるという面ではとても便利なものなのかもしれない。それが腐女子には危険すぎた。
 言わずもがな、ジオティーンズやFC2が闊歩していた頃である。
 何気無い単語が拾われて炎上したら堪ったもんじゃない、と、少なくとも私の周囲で「はてな」を利用していた者はひとりもいなかった。

 それが一番古い「恐ろしさ」である。

 そしてもうひとつ。「炎上のしやすさ」もまた「はてなブログは恐ろしい」と思ってしまう理由ではないかと思う。
 一概に「炎上」という言葉は適切ではなく「バズる」と近年は呼ぶらしい。私にはどちらも似たように思えるのだが、鶏どころか蚤の心では観覧者が増えるだけで動悸が激しくなる。心臓を患っていることもあるのかもしれないが、とにかくびっくりするのである。もし観覧者が、増えたら。
 無論、これはブログの記事に良かれ悪しかれの反響があったらという前提があり、まあ、そうそうあるものでもないだろう。
 ただ漠然と、これは私も見たのだが「保育園落ちた、日本死ね」が匿名のまま国会にまで運ばれたことにとても困惑した。予め言っておくが私は政治に詳しくない。匿名の方の文章が非常に攻撃的で切実さを訴えてあったことは覚えている。
 これはTwitterなどで誰もが情報を発信しやすくなった時代背景も関与していると思うのだが、正直「ブログってなんだろう」と思った。言ってみれば「匿名ブログが世間を揺るがした事態の前例」が出来てしまったのではないだろうか。
 それは当然、政策へ対する不平不満や国内外の情勢など様々な要因が関わってくると思うのだけれど「ブログが国を動かした事実」については、私はただただ漠然とした畏怖を感じたのである。

 

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金銭恐怖とアフィリエイト

 先の「恐ろしさ」とは別に、これは私自身の問題が大きい。私自身は病を患っており、障害年金国税から戴いて生活している。それだけでは少々苦しいからと在宅でも可能な仕事を外部委託という形で請け負って生活している。こういった所謂「内職」は完全に歩合制だ。体調が悪いと全く進められず、当然補償も無く、生活が苦しくなるばかりである。
 元々ブログに些末な日常の話を書くことは好きだったから、試しにアフィリエイトでもしてみようかと思った頃もあった。しかしやはり「1記事を10人が見れば大盛況」のような小規模のブログだったから、大した収入にはならない。1年で0円だったことも一度二度ではない。

 それならば収益数が見込まれるらしい「はてなブログ」を利用したらどうだろう?

 最近の私はそのように考えた。
 実際に、此処最近は「はてなブログ」で何円稼いだなどのノウハウを売りにする記事をよく見かけるような気がしたことも理由のひとつに挙げられるだろう。頭の片隅に「はてなブログ」という言葉がひっかかったまま、数日取れないでいた。まるで魚の骨のように。

 以下、アフィリエイトではなく「不労所得」と言い換える。微妙な言葉のニュアンスに違いがあると思うから。

 不労所得だからといって何をするでもなくお金が降ってくるのはとても嬉しいことだろう。楽ちんである。だが、現実では誰しもがそうであるとは限らない。事実、私の日常ブログは年収0円である。「アフィリエイトとして営業活動をする」という意見の方のブログも拝読した。こういうものを見るとアフィリエイターは「不労所得者」とはまた違う職業のようにも思える。月に何本記事を書くとか、最低何ヶ月は続けるとか、そういう話があちこちから聞こえる。だから完全なる不労所得とは言い切れないような気もする。

 現在生活に支障が出ている個人的な問題なのだが、私はお金が怖い。
「お給料だよ。君が頑張って内職したお金だ」と言われて渡されてもいつも申し訳ない気持ちになってしまう。ましてや相手が見えない状態でクリック数などに応じてチャリンチャリンとお金が増えていくようなことがあったら、全世界が寄ってたかって私を陥れようとしているのではないかという妄想を抱いてしまう。
 私は今、障害年金をもらって生活している。これは色んな方が国に治めたお金であって、私はそれによって生かしてもらっている。だからどうしたら、こうしたらといった偉そうなことは言えないけれども、人のお世話になっていることを肌で感じながら細々と生きていきたいと思っている。自分が生きていることを申し訳なく思い、そして感謝しながら生活していきたい。今は、取り敢えずそう思っている。

 売れる売れないといったことも関わってくるのだろうし、障害年金に対して批判的な人もいると思う。それでいいと思っている。怖いけど。

 

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試すだけならタダであること

  色々と自分なりに考え倦んではいた。此処暫く。それでも、何もやらないよりなら…という思いから、試しにブログを開設してみた。色々な人が色々な方法で広告収入を得ているならば、他のブログ(無料有料問わず)よりも可能性はあるかもしれない。
 また、私自身、日頃から煩悩が多い為、なかなか言い出しづらい理屈っぽい話でも「はてなブログ」では書けるのではないだろうかと思ったことも挙げられる。
 それでも飽き性だから、いつまで続くかわからない。明日からふと興味を失くしてしまうかもしれない。でも、それならそれで構わないのがアフィリエイトが「不労所得」と呼ばれる所以なのかもしれない。実際に「放置していたらいつの間にか」という記事も拝読した。知らない世界の扉を開けてみたい気もした。自分に合わないと感じたら、すぐに閉じてしまえばいいんだと思いながら。

 以上、しがなく長い雑記ですが、最後まで読んで戴きありがとうございました。

 設定から何からとやっていたら、もう昼が過ぎていました。猫はまだ寝ています。
 最後に、主にブログの設定などに関してお世話になった記事を紹介して〆ようかと思います。
 未熟者ではありますが、どうぞこれよりお見知りおきを戴けたら此れ幸いにて存じます。

    黒屋敷ぬい 拝

 

 

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